検索
  • shihoyasumoto

あおふぃ〜名古屋親子哲学対話〜②対立

最終更新: 2018年9月2日

昨日のあおふぃには、息子(小5)も参加しておりました。

息子は哲学対話が大好きなのですが、昨日はひょんなことから、息子が哲学対話の中では経験したことのない、ど真正面からのコンフリクトを経験することになりました。


息子は、発達障がいの特性があって、そもそも自分に劣等感を持っています。

これは日本の学校教育のシステムの弊害でしかありませんが、学校生活での様々な経験から、息子は自分がバカにされた(かわいそうと思われる類の同情のようなもの含む、フラットではなく上から目線の態度や発言)と感じるような発言にはとりわけ敏感なのです。


昨日の参加者の中に、同じような特性をもつ子(Aくん〉の参加がありました。

その子は同じような特性を持つことはすぐにはわかりましたが、息子よりも年齢が下だけど大変頭の回転が早く、語彙力とその使い方がアンバランスで、結果攻撃的な言葉となってしまいがちなタイプ。息子が学校でも常に(特に)闘志を燃やすタイプ。


対話が始まった瞬間から、息子の発言に対し、意見に批判したようで息子個人を批判したともとれる判定が微妙な意見を発するAくんに対し、息子の目つきはどんどんヤバくなっていきます笑


そしてテーマはともだち。

さらに問いは「友達はなんでめんどくさいんだろう?」

(これはAくんが考えたいと言った問い)


お互い、お互いの態度や物言いに対して、こんな友達は嫌だと罵り合うような場面もありました。それはそれは息子の苛立ちもすごかったです。

だけどお互い、本当は同じような生きづらさを抱えている、そのモヤモヤどろどろしたものを「ともだち」というテーマに乗せて爆発させているのが、私には最初から痛いほどよくわかりました。だから止めませんでしたし、私は子ども達の「文句」を「意見」に変えるお手伝いを必死でやりました。


そして、何よりも驚いたこと。

A君は、衝動的ですぐに手が出てしまうとのことで、参加しても大丈夫なのだろうかとご両親から事前にご相談がありました。

私はむしろそういう子と対話をしたいので来てもらったという経緯があったのですが、激しいコンフリクトの間、一度も衝動的にならなかったのです。


衝動的になるどころか、その「コンフリクト」を暴力的から、対話的へと自分達でシフトしていきました。もちろん私がかなり介入していますが、私は叩かないようにとA君のそばにいたわけではありません。

そんな時、超いい感じでちょうど二人の間の意見を言う子がいたんです。

それは①再会の記事の子です。


対話の力、恐るべしです。各々の経験と純粋な知的な探求心が、日頃の困りごとのひとつ「衝動」を抑えたのです。


対話が終わった時、「ものすごく楽しかった。また話したい。最初は黄色(息子のこと)が嫌だと思ってたけど、今考えたらこの黄色が一番ちゃんと話せた。だからもっと話したい」と言ってくれました。保護者の方も対話中何度も「大丈夫かな?」とのぞきにこられましたがお子さんの様子にとても安心された表情が印象的でした。

(私も息子が小さい時は謝ってばかりだったから誰よりもママの気持ちはわかるのです)


一方息子は、長らくイライラモードで「哲学対話なんてもう絶対やんねーからな!」と悪態をついていましたが、帰りの車の中で「てつがく対話っておもしろいねママ。あの子僕と似てるかもね。」と言葉少なげに言いました。


もうこれは私の仮説を超えている。誰かが考えたことではなく、「自分の頭で」考える哲学の特権。まさに「人生にてつがくを」です。

(↓犬てつスタッフのヤマダクミコさんが私をイメージしてつくって下さったものです)


8月24日 ディスレクシア協会名古屋さまでの、子ども達との哲学対話が楽しみです!!








312回の閲覧

Follow me

© 2018 All Rights Reserved by Shiho Yasumoto 
 

  • Facebook Clean
  • Twitter Clean
  • White Google+ Icon